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ことばの実験室「しらんちゃんのかんちがいそうだんしつ」更新2018/12/27

恩送りをおもう

言葉を知るっていうのは
こういうことだ、
と実感したことを書こう。
 
年のせいか
申し訳ないなという気持ちの
親戚としての
「ありがたいな」、
という気分によくなる。
 
以前の自分なら、
「恩返し」をしようと思うだろう。
 
しかし、今は、
「恩送り」という言葉を
知っているから、
考え方も自然とかわる。
 
とある本でこんなことが
書かれているのを読んだのだ。
 

 
「「恩返し」の代わりに、
江戸時代ふつうに使われた
「恩送り」という言葉で
申し上げたいのですが、
 
~中略~
 
「恩送り」というのは、
誰かから受けた恩を、
直接その人に返すのではなく、
別の人に送る。
 
その送られた人が
さらに別の人に渡す。
そうして、「恩」が世の中を
ぐるぐるぐる回っていく。」
 
恩送りっていいなと。

 
だがしかし、
と言いたい。
 
この作文を書くのもそうだし、
父の日、母の日なんかで
メッセージカードを作る案件なんか
でもそうで、
 
なにか良さそうな考え方とか
「感謝の勧め」みたいなものを
自分で書いたり作ったりしても、
どこかで自分が
棚に上がってしまう。
 
父の日に感謝の気持ちを
伝えよう、と自分で
言っているくせに
実際には父の日に
プレゼントしてなかったり。
(今年はできたけど…)
 
作文で、
「日本語には、こういう使い方も
あるのだ」という
豆知識みたいなものを書いた
次の日には忘れている。
 
子どもたちと付き合うようになって
先生や本から「なるほど」と思える
知識を得たつもりでいて、
別の人にさもありなんと語るが、
自身の感覚に
本当に落とし込めているか
というと疑問がある。
 
などなど。
 
言葉を知識として迎え入れても、
気持ちへと還元されない体験は
数えきれぬ。
 
それが、本当に活用できるかどうか。
外観を繕ったようなものでないか。
と…
そんなことを丁寧に点検したい。
 
年末の朝に、
近所の神社を散歩した帰り、
日向にあたりながら、
「恩送り」という言葉を
思いうかべた。
 
そんな気持ちを
来年形にしたい。
 

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