ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

役割に執着しない面白さ

たまに、昔考えたアイディアが
とある拍子に思い出されることが
あります。

そんなとき、この作文は便利で、
サイトの右下の検索機能で
3文字以上打ち込めば
該当記事が出てくるのです。

今回思い出したアイディアの中で
「椅子の足」というキーワードは
はっきり覚えていたので、
検索してみたら、案の定出て来ました。

棒が一本ありまして、
椅子にくっついたら、
椅子の足になりました。

布が一枚ありまして、
小さく切ったら
ハンカチになりました。

物は用途を限定しないけれど
役割をもたせると、
(名前をつけると)
用途が顕著にあらわれる。

同じ物でも名前によって、
存在価値が変わるという不思議。

そうか、この世のほとんどは、
それを何という名前で呼んでいるか、で
捉え方が決まってくるのかも
しれないなと思う。

川がありまして、
カップで川をひとすくいして

このカップの中にはなにがある?
と聞かれたら「川」とは答えない。

「水」(もしくは「川の水」)
と答える。

その逆もあって、
コップの入っている「水」を
川に放つと、その「水」は、
あっという間に姿を消して
「川」になってしまう。

同じものなはずなのに、
見方で名前が変わる。
面白くも不思議。

そもそも、なんで思い出したか
というと、寝る前に
鈴木俊隆「ビギナーズ・マインド」を
読んでいたから。

この本の中で(たとえの話として)
川全体のことを「空性」と言っていて。
つまり、なにもないということ。

川の状態のときって、
水滴が一つ一つどういう動きを
しているか、ということが消える。

川には、そのなかに個別性がない、と。

もともと、それらが
水道の水であろうが、
下水だろうが、雨だろうが、
動物のおしっこだろうと
どんな個性的な水だったとしても、
川になれば、ぜーんぶひっくるめて
「川」になってしまう。

そこにあった個が消えるという意味で
「空性」ということなんだと思うけど、

それは心も同じ、ということを
言っていまして。

「心と身体のすべてをもって、
宇宙的な心のコントロールにまかせて、
一つになった心と身体で座れば、
比較的容易にこの正しい理解を得ることが
できます」

…となかなか、理解しがたい文章。

ざっくりと把握しようとするなら、

・個人的な過去に執着していることが、
カップの中の「水」であり、

・人生の古い解釈に執着することがなく、
まったく新しいものになっていく状態が
「川」ということ。

川の流れに身をまかせ…
というとどこかで聞き覚えのある歌詞の
ようにも聞こえますが。

寝る前にこの本を読んでいて、
うーん、とかんがえながら電気を消す。

カップの水を、川に戻すように、
地球規模の自然の中に、
自分を戻すような意識をしてみると、

たしかに換気扇の音、
外で走る車の音なんかが、
今この瞬間の現象が
どことなく新鮮に聞こえてき始めた。

あんまり自分に執着しない、
自然のなかのひとつ、と自分自身を
捉えてみようと思う。

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