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今回の実験「あたらしいロゴをかおもじサインにしてみました」

宛さきについて

最近出会った人で、作ったものをみせたら
「それは誰に届けたいんですか」と
矢継ぎ早に質問してくる人がいた。
 
どういう時に使うものなの、とか、
どんな年齢に向けて、とか
そういう質問なら割合慣れているというか、
作りながら意識はしていたんだけど、
「届けたい」というワードに慣れてなくて、
ついどぎまぎしてしまった。
 
まるで手紙を書いている最中の人に、
聞いているような、
というのは、要するに、届けたい相手が
個人であるかのような気分になった。
 

 
でも、と思う。
そういわれてみれば、
絵を習い始めた高校三年生の頃
講師にしきりに言われていたのが、
恋人にラブレターを書くように
作品をつくれ、ということだった。
 
たしかに、今まで作った中で、
いまいちだったな、とか、評判が芳しくないときは
そのあたりがぼんやりしていることが多い。
作ることが目的になってしまうと
いけないなと思う。
宛先を決めないで書く手紙ほど
無用のものはない。
 
じゃあ、例えばこの作文って誰に書いているんだろう。
というと…
うーん、と思って読み返してみると、
あ、これは自分のためだなと改めて思える。
 
自分の考えのあしどりのようなものを
公開恥さらしで、ここに載せている…
という気分になる。
 
ルイスキャロルの小さい友人のために送った
手紙集「少女への手紙」では、
女の子が書いた、なんてことのない文章
「たくさんのキスを込めて」に対して、
「郵便料金の関係でキスを入れすぎると
料金が高くなるからほどほどに」というような
濃いからみをみせている。
これは個人相手ならでは。公向けでない面白さ。
 
だから手紙の最初では「親愛なるメアリー」
とかいうはじまりなんだけど、
誰かに「届ける」視点をはっきりさせるなら
宛先を書いてみるべき。
この作文では「親愛なるぼくへ」というはじまり。
そしてfacebookや、twitterでは
「みなさん」というものが頭につくと良い。
 
余談だけど、頭に「みなさん」がつくと
書いている人の表情が変わる。
 
「みなさん」という表情を持っていない
子供の表情をみると、なんとなくその違いが判る。
「みなさん」は距離を一定に保つけど、
小さい子たちは隔てなくぐっと距離を縮めてくる。
 
距離を保っていることによって、
いい感じであることもあるけど、
時々、近づけたときはすごく楽しくなる。

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