docchigagigugego.jpg
Clickで詳細ページへ。

失敗作

ロールペーパーや575(休憩中)を
日々更新しているけれど、
だんだん何のために書いているのか
わからなくなる。
 
どういうものが面白いと思うのか。
自分たちで時たま感じる
「面白いな」という気分は、
正しいのか、勘違いなのか。
 
そのことについて考えてみれば
今自分が欲しがっているものが見つかるかもしれない。
 
精神的にあたらしい風が
吹くとしたらどんなものなんだろう。
と思う。
 
ぼくたちは今どんな気持ちなのか。
自分だけに限らず周りの人のことも
含めて改めて見渡してみたい。
 

 
たぶんぼくらは、
1980年代に青年だった世代の
おこぼれを生きているように思う。
 
彼らが土ぼこりにまみれて見つけた素敵さを
ぼくらはなんとなく真似している。
だから、芯がない。
 
そうしながら、なぜそうなのか考えもしない。
だから分からない。
 
80年代にイメージの輝きが飛躍的に
拡大したように思う。
実体験を超えるような
精神的なユートピアみたいなもの。
それも芸術ではなく、商業的に。
現実感から突き抜けた快感があったのだと思う。
糸井重里、村上春樹とか…(あまり思い出せない。)
など広告とか、文化的に広まった。
そのときに青年だった、
穂村弘、服部一成、ミナペルホネン、
(あまり思い出せない…)などが
それを受けて今活躍している。
 
そろそろ自分たちにバトンが
回って来ている頃。
 
しかしぼくたちはイメージ化しすぎている。
イメージに実体験が溺れて手も足もでない。
 
ゲームインターネットマンガによって、
自意識(自分のなかだけで通用する世界)が
充満するような仕組みの中に育ち、
それ以外に気持ちが及ばなくなった。
自分が思う「良さ」に閉じこもってしまう。
 
そんな80年代が生んだ失敗作が
ぼく(ら)なのであるように感じている。
 
時代的な失敗というのは
裏を返せば次の世代への新しさ、
ともとれるわけで、
失敗である私の中にある
鬱屈としたものを、
どうやったら解消できるのか。
 
みたいなことをもっと実直に
探していかないとならない。
ともやもや考えています。
 

« »

サイト管理