ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

問題解決しない能力

解剖学者、脳生理学者の
三木成夫さんが、
人間生命の誕生」という本の中で
自然に対する見方は二つある…と。

「すがた・かたち」を静観する眼と、
「しかけ・しくみ」を抽出する眼の
二種の眼で、

前者が生に満ち溢れたものとなり、
後者では生とは無縁のものとなる。

らしいです。

「すがた・かたち」としてとらえるとは、
たとえば、おひさまがほほえむ、とか、
そよ風がささやく、とか、大地がねむるとか、
海が荒れ狂うとか、
無生物さえも、人間と同じく
生命を営んでいるという眼。

一方で、
「しかけ・しくみ」は、そのままの通り、
科学な視点。

「すがた・かたち」の視点では、
死してなお、ひとの心に鮮やかにその
すがた・かたちが残る時、
その人間の「いのち」というものは、
まだ亡びてはいない。

ちょっと、宗教的な視点なのかな。
亡くなったあとも、古墳や、お墓として
形として残すことで、
生は続いていくという見方。

「しかけ・しくみ」の視点では
命は、生物が生きている間だけ、
と思うあまり、
からだに起こるすべての現象を
”死に抗するための闘争”とかんがえる、
つまり病めるしくみを、少しでも早く
治す方へめいめいの考えを向け直す。

どちらも切り離すことができない
宿命の一組、と三木さんは言う。

と同時に、文章を読んでいくと、
人間が時代が進むにつれて
「しかけ・しくみ」の方に傾倒しすぎて
いるのでは、という警鐘も読み取れます。

正直、「すがた・かたち」と
「しかけ・しくみ」の二つの考えを読んで、

「すがた・かたち」の方は、なんとなく
共感しながらも、具体的によく分からない。
感じていると思うのだけど、
自分で把握できていない。

どちらかというと、自分自身も
しらずのうちに「しかけ・しくみ」に
傾倒しているのかもしれないな、
と思う。

一般的に、問題解決と効率化は、
実生活に必要だということは、
自明の理という感じがするけど、

効率を図らない、
問題を解決しない。

ただ、静観している、見守る、
そこになにかを感じとっている。

という「無駄」に見える姿勢にも、
同じくらいの価値があるのだろうなと、
意識を向けてみようかと思っています。

前にも書いたけれど、
日本の静観の代表作は「枕草子」
だと思っています。

じっくり、ゆっくり、読みたい。
と思うが、なかなか読めない。

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