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動態なことば

文法についてなにかを知ろうとすると、
なにかもやもやしてよく分からない。
 
文の最小単位を規定するという
「区切り方」ひとつとっても、
学者ごとに諸説があるくらいだから
なんだかはっきりしないのも
無理はないと思う。
 
いまここにある口語文法の
論文を読んでも、
「…まだなにやら混沌として
未解決のものが、渦巻いていることは
事実である。わたしも口語文法に、
かかずらっているものの、いま、
ここで明快な結論など、微力で到底
出せそうもない。…」
と書いてある。
(徳田政信「現代語品詞分類の問題」
より引用)
 

 
辞書を引くように、あるいは
単語をひとつひとつに切りとり
これはこういう品詞、あれはこういう品詞、
という方法で(学校で学ぶような方法で)
捉えればできるのかもしれない。
(それを静態主義とか、
静止構造で捉える、とか言うらしい。)
 
けれどふだん使われる言葉は
なんだか「静止した」文法にはきっちりと
収まっていはいない気がする。
 
さらに引用すると
「意識性を内包する生きものである言語は、
本来ダイナミックな存在である。
それゆえ静止的にのみ捉えていて
よいのであろうか、「発話」や「文」は
すべて動態において成立するものである。」
(一部省略)
と、こんなことが書いてある。
 
つまりは、場面や状況が異なれば
言葉の通じ方も変わるし、
どんな気持ちや考えで言われたか、
というような「意識の作用」によっても
同じ言葉でも意味は変わる。
場合によっては助詞なんかを省略しても
効果となって通じることもある。
 
うーん、そうか。要するに、
考えても取留めがないってことなんだ。
けれど、察知することは出来る。
 
話が飛んでしまうけれど、
文法を知るのにいちばんなのは、
知識より前に、違和感だとおもう。
 
ぼく自身めちゃくちゃな使い方を
してしまうので、後で見かえした時、
「なんだこのデタラメな文章は」と
驚くことがあるくらいなので、
声をひそめて言う必要があるけれど、
文法は違和感です、と思う。
 
その「なんだこのデタラメは」という
感覚こそが、日本人に脈々と受け継がれた
体内文法だと思う。
 
ことばに仕掛けをつくる時に
いちばん悩むのが見る人の「違和感」を
少なくしようとする作業。
 
今回は例もないままに書いたけど
こんど気がついたときもう少し
具体的に書いてみます。
 

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