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ことばの実験室 更新2019/4/23

余裕をうみだす夢の風景

いきなり、しなくてもいい
カミングアウトをするけれど、
20歳の頃、ぼくは学校へ通うのに
中型バイクの免許を取ろうとして
10回以上不合格した経験がある。

結果的に取るのをあきらめ、
不憫な思いで、電車通学をした。

なにがダメだったのか、
理由を思い返してみよう。

理由その1。
5回目の不合格の後のこと。
大学生の頃の自分というと、
ろくに授業も出ずに、学校の周辺、
それも八王子の山を
のしのし歩き回っていた。

その時も、
行き当たりばったりに車道に出たので、
坂道を下っていると、向こうの側道に
車が止めてあり、
数台のバイクも止まっていた。

なんだろうと進んでいくと、
一台のバイクが倒れている。
人が横たわっている。
飛沫、ではなく、水たまりのような
深紅がみえる。
車を運転していた女性が電話している。
バイクの仲間が名前を呼んでいる。

どきどきしながら、通り過ぎた。
そのあと、なんとなく学校へ戻り、
なんとなく授業へ潜りこんだが、
あれは、あのあと、どうなったんだろう、
と気が気ではなかった。

数日後、また同じ場所まで
歩いて行った。
そこには、事故の形跡はまるでなく、
まぼろしだったかのようにも思えた。
けれど、そのすぐ後に、
缶コーヒーとともに、
一つの花束をみつけた。

理由その2。
それで、バイクに自信がなくなって
ダメになった…としても、
1回目から5回目に不合格だった
理由にはならない。

そもそも、の理由として、
余裕がないのがダメなんだ。
と思った。
車の免許は、すんなり取れた。
担当の教官に「君の運転は好きだなあ」
「車体感覚がいいねえ」
「無免許で乗ったことあるでしょ?」
と褒められたほどだった。

なぜかというと、
車には余裕があるから。
車を運転しながら、ひじをつける。
貧乏ゆすりもできる。
おにぎりも食べられる。

しかし、バイクはどうだろう?
大体バイクって走らせない限り、
自立しない。
めちゃめちゃ重たい車体をバランスよく
持たないと、腕を持っていかれて、
ごろ、どしん、と圧倒的な力で
なぎ倒される。常に緊張させられる。

走っていても、
片手運転なんてもってのほか。
おにぎりなんて、
食べられるわけがない。
こんなに余裕のない乗り物は
はっきり言って耐えられない。
ということだ。

ここから話が変わるけど、
なにも乗り物だけではなくて、
日常生活にも、余裕がないと思うと
やっていけなくなる。
ぼくにとって、さぼる余裕は必ず必要。

余裕がなくなっていくと、
悪夢を見始める。
最初は、ティンカーベルみたいな
花の妖精が歌を歌っているような
心地よいシーンなんだけど、

突然、その後ろに
トイレの花子さんらしき
目がぎょろっとした女の子が
あらわれ、花の妖精に
「幸せそうだけど、あなたの背中に
おばあさんがしがみついているのよ」
と、呪いのような声を投げかける。

雰囲気の急カーブにもほどがある。
怖すぎる。
ううう!という自分のうめき声で
目が覚めてみると、呼吸がうまく
できない。
ちょっとした金縛りだ。

ちょっと矛盾するようだけど、
基本的に、夢の居心地は
現実のどの場所よりも、快い。

それが、怖い夢だったとしても
快感が憧れとして残る。

吹き抜けのビルの中に岩温泉が
かけ流しであったり、
みたこともないユニークな
間取りの家に住んでいたり。
歩いて回るたびに
間取りは変わる。

日本のお城みたいに立派な
木造の家に住んだり、
ここの柱はいいなあと、
触った感覚も色も、
彫ってある文字も
はっきりとみていた記憶がある。

余裕がなくなると、
その分夢に反動が表れる。

眠くなると、すぐ
強制終了してしまうので、
結局余裕をとっているんだけど
その時に見る夢って、
本当に心地いいんだよなあ。
あれはなんなんだろうか?

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