ことばの実験室 更新2019/7/15

伝わらない仕組みを楽しむ

小学1年生のころ、
授業中に「せんせい、といれ」という
フレーズを聞いた記憶がある。
自分が言った記憶もある。

そんなとき先生は
「先生はトイレじゃありません」と、
いたずらっぽく言うので
いらずらで返すように
「せんせいはといれです!」
という子もいたけど、
多くの子は
「せんせい、といれにいってきます」
と言いなおす。

さて、
この話には、ただの「あるある」以上に
面白い考えが潜んでいました。

こんなマンガを発見。

↑「せんせい、といれ」と
同じ話。
ぼくの先生も、マンガの母ちゃんも、
動詞の省略を許さない。

なにが面白いのか…というと
ちょっと話が飛びます。

前にプログラミング言語の
融通の利かなさについて
書いた
のだけど、
ぼく個人的には、
「言わなくても伝わる」っていうのが
人間的で面白いなと。
言葉足らずでも「状況みれば分かるじゃん」
ってことがたくさんあるし。

一方で、すべてのことを省略せずに
具体的に伝えないと、伝わらない
というのがプログラミング的だなと。

それで、言わなくてもわかるなら、
それでいいんじゃないの?
っていうスタンスを、
なんとなく持っていた。

そんなとき、
先生や母ちゃんが、
省略させない態度をとったことに、
ぼくは
「コンピューターじゃないんだから
そこまでする必要ってどこにあるの?」と
疑問をもった。

なんで、言い直させる必要が
あると思います?
教育上?社会に出た時に?

(繰り返しになるけど)
「母ちゃん、お茶!」と言われたら、
「ん?お茶がどうしたの?」と。

いやいや、
分かってるでしょ、ほんとは。
分かってるなら
なんでわざわざ聞きなおすの?

と、疑問に思いながらも、
まあたしかに、
「言葉=ちゃんと覚えた方がいい」
という条件反射には、
そっか大事だもんねと思う。

に、しても、
じゃあなんでなの?
って説明を求められたら
案外言葉で説明できないんじゃないかなあ。

「社会に出た時のために」っていうのも
そうなんだけど、
仕組みについての説明には
なっていないんだよなあ。

で、ぼくが思ったこと↓

〇「言わなくても分かる」っていうのは、
前後の状況とか、
その人のことをよく知っているから
成立する。家族だから、とか。

〇だけど、まったく違う状況でも
「省略」で通じるかって考えると
そうじゃないことも多い。

たとえば、お茶を売っている
お店に行って、
「おばちゃん、お茶」って言っても、
お茶を葉っぱで買うのか、
その場で飲みたいのか、
どんな種類か、などなど、限定できない。
そのとき、おばちゃんはごく自然に
「お茶をどうしたいの?」
と聞き返すでしょう。

〇慣れ親しんだ場所ではない所へ
行ったときは、
家庭内のような省略ことばで
言うと、伝わり切らないことがある。

〇社会に出た時に、
というと、ちょっとはぐらかした
言い方になってしまうので、
「環境が変われば、伝わり方も変わる」
ということ。

そして、環境が変わっても
言いたいことを伝えるには
やっぱり文章として完成した状態の方が
伝わりやすいってこと。

まあ、当たり前すぎて、
ばかばかしいと言えばそうなんだけど。

でも、そのことを、
母ちゃんや、先生は
伝えたかったんだろうな。

この話の目的はここからなんだけど、
遊びの中で「環境が変われば伝え方も変わる」
ってことを
伝えられるんじゃないか、
ってぼくは構想しています。

字義どおりにとらえる人、
(やかん見てて→沸騰しても見てるだけ、とか)
なんでも省略して言っちゃう人、
(ママ、めがねー、とか。)
文の区切りをあけすぎて勘違いさせちゃう人
(今日はおやつがたくさん…、ありません!とか)

伝わらない!勘違い!
ということを笑いにできたら、いいなあ。

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