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プランクトンな言葉

面白い本や、人の話に出会うことがある。
最近もあった。
 
とても大事なことを垣間見れたような
気がして嬉しいのだけど、
あとで思い出そうとすると、思い出せない。
 
だから当然、その面白さを人に伝えたいと
思っても、言葉がてんで出てこなくて、
ハっとする。
 
ああだったかな、こうだったかなと
気持ちをかえりみてみるけれど、
手がかりは、なかなかつかめない。
 
…などと考えながら電車に乗ってると、
前の人がスマホで調べ物をしているのが
見えたので、意識はふわっとそちらに
移る。
 
ディナーのお店を探しているのか、
「鴨肉のソテー 評価高い」
というような検索ワードで検索していた。
 
その時、なんて具体的なんだろう!
と思った。
ぼくがあんなに、イメージだけの
ふわふわした気持ちを探していたのに、
形式的に名称を打てば探し物が出てくる。
なんというか、
それはとても固い言葉だな、とふと思った。
 
「鴨肉のソテー」なら
鴨肉のソテー以外のなにものでもない、
鴨肉のソテーのためにある言葉、というか。
 
「固い言葉」なんて、何をいってるんだ、
という感じが自分でもするけど、
荒俣宏が妖怪をプランクトンに例えている話を
聞いて(これもへんな話だった)
プランクトン的な言葉観と、
固形というか既成品的な言葉観が
あるよなあと、思うようになった。
 
*
 
そもそも、プランクトンのことを
今まで考えることがなかったために
ぼくはてっきりプランクトンという
名前の生物がいるのかと思っていたが、
そうではなくて、
貝やエビやくらげやイカなど、
海の中の生き物の赤ちゃんを総称して
呼ぶ名前のことらしい。
 
透明で小さくて、語源を辿れば、
ふわふわ浮かんでるやつら、
というような意味なのだそうな。
 
成長したあとは、弱肉強食の世界だが
プランクトン時代は、クラゲもエビも、
みんな同じ。
生き物の差はなく、力もなく、ただ波にゆられて
渾然一体となる。なにものでもない集まり。
なんでもなく、ただそこにある。
 
それが、妖怪と似ていると荒俣宏が
言っていたが自分はまだちゃんと意味を
飲み込めていない。
 
だけど、プランクトンは言葉とも似ている、
という発見(または思い違い)はできた。
 
文字ひとつひとつには、
なんの意味も優劣もない。
 
言葉は本来、意味の固形化した
一対一対応ではなくて、
ごちゃごちゃでぐちゃぐちゃで無意味な
言葉のプランクトンに満たされたスープ
のようなもので、
ぼくらはそれに浸かっている。
 
言葉に形があるわけではない。
たまたま、あるように見えるだけで、
ないものを、あるかのように見ているのだ。
 
だって、
言葉は一文字付け足したり、とったり、
発音変えたり、順番を入れ換えれば
意味は変わる、とても曖昧なもの。
 
ふわふわ浮かんでいて、
とらえどころがない。
しかしそれでいて、豊満である。
なにかの生物に変わる萌芽みたいなもの。
 
ふだんから読んだり、
使ったりしている言葉が
そういうものだと思うと、
なんか楽しくなりそうだと思う。

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