ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

ノイズキャッチャー

昔、大学生だったころ、
大学の講師をしている先生の
個展を見にいった。

光と影をつかったインスタレーションで、
水面の反射のような光と影が
部屋全体にゆらいでいる。

その人が、
「海の波をずっとみていても
飽きないのはどうしてだろうね」

と、言っていたのを、
思い出した。

どうして思い出したかといえば、
ずっと家にこもっているから。

こもっていると、「たたずむ」
ということができない。

ただ、何も考えないで、
そこにいて、良い心地、ということ。

ベランダに出ると、
ひざしがさして、遠くの大気全体が
ゆっくり動き、まばらな温度の空気が
さわり、鳥がさえずっていて、
ふと虫が目の前を飛び、
風のいい匂いがして、外の広さを
体全体で感じられてくる。

こういうのがあると、
たたずめる。
ちょうど、寒い時に温泉につかるように
じんわり。

「波をずっと見ていて飽きない」
ということが、よくわかるなあと。

普段は、聞いていないような音、
感じていないと思っているノイズって
じつは、けっこう影響あたえていたんだな。

大きい建物にあるような空調の音とか、
飛行機とか、電車の音、
たき火の音、中華屋さんの鍋でからからと
油のはぜる音、川の流れる音、人の寝息

聞いているとも、聞いていないとも
つかないけど、
それがあると、ぼんやりたたずんで
いられる。

最近、レイチェル・フィールド
という人の本を読み始めたばかりなんだけど、
彼女の詩集に、こんなのがあった。

「夏の朝」
早起きして わたしは見た。
あかつきが そおっとしのび足で
空を 歩いていくのを。
カモメが 飛んでいくのも見た。
それから海が いちばんきれいな
青いサマードレスを 着こむのも。
松の木とネズの木が たくさんの
みどりの腕を さわんさわんと
ゆり動かすのも きいた。
わたしには はっきりと
風の呼ぶ声が きこえたのだ。
「早く 出ておいで!きょうは
もう 始まっているよ!」

勘のいい子は、
ノイズをノイズと思わない。

千家元麿という詩人も、
30歳の頃、長いスランプを抜けて
はじめに書いた詩集が
「自分は見た」。

本が実家にあるので、
内容は忘れてしまったけど、
とにかく、なんでもないノイズが、
突然自分にとって、
意味のある効能として見えた、
というもの。

本当にだいじなのは、
「優先事項」じゃなくて、
なんでもない、と思っていることに
関心を寄せることなんじゃないかな…
と、ぼんやり派のぼくは思う。

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