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ことばの実験室 更新2019/4/23

ぼくがおりますので。

ときどき更新している作文だけど、
毎日更新するべきだ、と
よく人から言われる。

そうかあ、と思っていると、
その人はさらに、
せっかくならアフェリエイトつければいい、
と勧めてくる。

設置しないなんて、もったいない。
というから、
がーん!時代に取り残された…!
と思って家に帰って、検索。

すると、アフェリエイトというのは、
簡単に言えば、お金稼ぎの方法で、
そのために読者を呼び込まなくてはならず、
さらに、そのために、
読者が興味をもちそうな、
価値のある記事を毎日書くべし!
と、結論付けられている。

要するに、記事は情報商材としてあれ。
ということか。

ふむふむ、この条件に照らし合わせると、
ぼくの書く作文って、
まるで価値のないものなのだな、と
改めて実感する。

自分がわくわくしたり、書きたいなと
思っていたことしか書いていないので、
「自分の好きなことを書くなかれ、
他人の興味を書け」
という文面を見つけた時は、
さすがにどきっとした。

そんなときは、「ドラえもーん」と
いう言い方で
「荒川さーん」と助けを求める。

荒川さんとは、詩人でエッセイストの
荒川洋二のこと。

ぼくの中での殿堂入りエッセイ集
「夜のある町で」(みすず書房)
の「おかのうえの波」というエッセイの
一節が思い浮かんだ。

文章を書くとは、以下の3つの要件を
満たすこと、と荒川さんは言う。

1、知識は書かないこと

2、情報は書かないこと

3、何も書かないこと

予想以上の内容にびっくり。
だって、知識も情報も書かなければ、
ひとまず、アフェリエイト的には、
価値がほとんどないことになる。

なにしろ、そのページを見にいく
必要性や、理由や、動機に
ひっかからないから。検索として。

しかも、何も書かないって、
どういうこと?と思う。

知識とは、過去の自分だ。という。
そういうものにとらわれると、
自分を忘れて、ときどき知ったかぶりを
してしまう、という。
今の自分の考え、思いを大事にしたい。と。

情報とは、最も価値になりやすいが、
その中に、書き手である自分が、
いないことが多い。
という。たしかにな、と思う。

何も書かない、というのは、
自分がもてるものはできるだけ
もたないで、
その上で、何を書くんだろう。
ということなんだって。

荒川さんは、
アフェリエイトサイトで集客を
しようということとは、
まったく別の目的地にいこうと
しているので、
つまりぼく自身も、集客しよう、と
思っているわけではない以上、

荒川洋二の歩いている方へ
ついて行きたくなる。

この作文になにがあるかというと、
知識も情報も(必要とあらば載せるけど)
なにも書いてなくて、
ここに、ぼくがおります。
ということなんですね。

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