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ことばの実験メモ

あるとき、
とある定食屋さんで頼んだ
野菜炒めの味が、妙に薄いと思った。
 
最近お店で食べるものと言えば
軒並みしっかりした味付けで、
そういうのに慣れていたぼくは、
おや、と思って顔をあげた。
すると、そこに張り紙があった。
 
「おいしい低カロリー。
おいしい減塩。」
あ、これはそういう料理なんだ。
 
そう思ったとたんに、
心持ちは一変して、
得をしている気さえしてきた。
 
料理の味自体は全く変わって
いないのだけども、
健康志向と意味付けできたら
いいことをしたような気分。
 
大体、自分は、
目の前にあるそのものよりも、
「意味付け」の方に
感じ入っているのだと思った。
 

 
他の例でいうと
人を紹介されるとき、
「あいつはすごく太っているし
鼻息が荒くて、
混雑した電車なんかじゃ
人の何倍もの空間を占拠するんだぜ。」
と言われると、その人を
会う前から嫌いになりそうだが、
「彼はお相撲さん」というと、
また印象が変わる。
 

 
あるいは、散歩中に迷子になって
思わぬところまで来てしまったとき。
 
時間を無駄にした、とするよりも
新しい道を発見したと思えると
その日、一日の楽しみ度が
ぐっと増えた気がする。
 
なんども言うけど、
同じ経験をしても、
その意味付けによって
価値が変わってしまう。
 、

 
人生は「分岐の選択」ではなくて
「解釈の選択」だという。
 
分岐の選択は、一度してしまったら
タイムマシンがなければ
やり直せない。
 
でも解釈の選択なら、
自分の意味付け次第でいつからでも
周りの見え方を変えられる。
 
…と、こんなことを、
心理学者アドラーを研究した
岸見一郎と、ライターの古賀史健が
書いた「嫌われる勇気」を読んで思った。
 

 
話は変わって、また別の文脈で
長らく興味を持っていた本がある。
 
甲田直美著「文章を理解するとは」。
ぼくはよく
言葉の持つ作用を使って、
なにか面白い事ができないかと
思っているので、
言葉や文章の仕組みが
研究されているこの本は、
ぼくにとって面白ネタ本。
 
その中に、視点によって
意味のとらえ方が
変わる文章があることを知った。
 
どんな文章かというと、
とある家の敷地のことや家の作りを、
淡々と描写した文章なのだけど、
それを不動産の視点で読むか、
泥棒の視点で読むかと
価値の利用の仕方が変わる、
という。
 
要するに、一つの文章が
様々な意味合いとして変化する。
その作用を使って、
なにか面白いコンテンツが
できるかなあ、と考えていた。
 
アドラーの説く
すでにある情報に意味付けをすることと、
視点によって意味付けの変わる文章は
なんとなく相性のいいように思えた。
 
次のことばの実験でうまくまとまると
いいけどなあ。

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