ことばの実験室 更新2019/7/15

「同じ」であると困ること

「同じ」と「違う」について、
なんだか気になる。

たとえば、「コップがほしい」と
思い立つとする。

ようし、とやる気がわいて
電車に乗って買い物に出る。

そのとき、頭の中にある「コップ」が
どういうコップか分からんが、
とにかく良さそうなコップの
イメージが浮かんでる。

お店について、
店内をうろうろしていると、
「なにかお探しですか」と
店員さんが声をかけてくれる。

「あ、コップを探してるんです」
というと、すぐにコップの売り場に
案内してくれる。

ざーっと眺めると、
「うーん、違うんだよなあ。
こういうんじゃないんですよ。なんか」
と思ってしまう。

陳列されているのは、
どれもコップといえば、
コップなのに、全部違う。

車だってそういうことがある。

車の免許をもっていて、
運転にも慣れているから、
自分は車を運転できると。

けれど、ポルシェ911を運転してくれ、
と突然言われたら、
いや、そういう車はちょっと、
仕様が違うから、ねえ。

と思うこともある。

誕生日に何がほしいと聞いたら、
ジャケットかな、というので
良さそうなのを買ってプレゼントすると、
これかあ~、とイメージと違う反応を
頂いたり。

言葉の上では、通じているつもりでも、
実際のところ、違ったりする。

人と、共有することでもそうだし、
自分の中でなにかを考える時もそう。

具体的なところに落としこまないまま、
納得してしまうと、
それはもしかしたら、本当に分かったり、
知ったり、理解したことに
ならないのかもしれないな。

言葉は、違うことを「同じ化」してしまう。
それが、とても便利である一方、
こんなことも起こる。

それは絵の話なんだけど、
「犬描いて」と言われたので、
こういう絵を描くと、大体の人が納得する。

でも、「この犬種は?」
と突っ込まれると、分からない。

だからと言って、
ベドリントン・テリアを描くと、
いや、これは犬って分かりにくいから、
もっと王道な犬を描いてよ、と言われる。

記号化された絵は、言葉と同様
「同じ化」されているので、伝わりやすい。

が、伝わりやすさを優先していると
絵がどんどん記号化してしまう。
これは果たしていいのか、悪いのか。

吉田戦車の「伝染るんです
という四コマ漫画でこんなのがあった。

ペットショップで、怪しい男が
「犬をください」という。

店員さんは笑顔で
「こちらのチワワなんか人気ですよ」
というと、

「違います、私がほしいのは犬です。」

店員さんの笑顔は引きつって、
「しば犬なんかはオーソドックスですが…」

といっても、
「いいえ、そんなんじゃなくて、
犬がほしいんです。」

…こういうシュールなことを、
ぼくたちは知らずにやっているんです。

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