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「分かるまで」読書法

興味のストライクゾーンに
ばしっとくるものが見つかると、
とてもうれしい。
 
分かった!という気持ちになれるところがいい。
今までもやもや考えていたことが
はっきりしたぞ、とか、
考えがまとまったぞ、と思えてくる。
 
自分は、何が好きで、
何に興味があるのか、という
自分の現在の状態って
かなりうやむやに、かつ漠然として
日々過ごしてしまうけれど、
「いい出会い」があると
そういう曖昧にしていたことを
とり戻せたような気持ちになります。
 

 
ぼくの場合、多くは本との出会いが
そうさせるんだけど、問題は、
「分かったぞ!」と思うことがあっても、
それを人と共有しようとすると、
途端に分からなくなる。ということ。
 
どこをどう、何て言えばいいのか…。
やっぱり分かっていなかったんだ、と
ふりだしに戻ってしまう。
 
冬山のうえ106
 
どうすれば、本当に分かるように
体得できるんだろう。
読んでいるときは、まるで催眠術に
かかっているかのように
全てが明瞭に思える。
けれど、本を閉じると、なにも頭に
残っていないことに気がつく。
 
分かったような気、だけして、本当は
よく分かっていなかったのだと思う。
 

 
物理学者のファインマンは
読書の仕方について
こんなことを言っています。
 
まずはこう。
「わかろうがわかるまいが
遮二無二しまいまで読む方式」で
とにかく読み進める。
 
次にこう。
「最初から始めて、
わからなくなってしまうところまで
読むのさ。それからまたはじめから
読み直す、というふうに全部を
読み通して理解できるようになるまで
読むんだ。」
 
難しい論文が書かれた本などを
読む場合にそう言っているけれど、
小説でも、絵本でも、
同じことが言えるように思えてくる。
 
「分かった気になる自分」を仮想敵に
仕立てて、そうはさせまい、
それがなんなのか、自分で考えて、
ちゃんと分かるようになるまで
何度も読む。
 
ということをしないと、
と思い直しています。

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