docchigagigugego.jpg
Clickで詳細ページへ。

「他力本願」構造

電車に乗るのが好きかもしれない。
 
自分の部屋で、何もせずぼんやりしていると
「なにかをしなくては」という
恐怖感に囚われる。
けれど、電車に乗っていれば
そうは思わない。
 
とことんまでぼーっとしていられる。
これは何故だろう。
 
ぼーっとしていても、
「どこかへ向かっている」という
能動的な動作の中に身をあずけて
いられるからだろうか。
 
何かをしなくてはならない、という
無意識の強迫観念が、
「電車に乗って移動しているじゃないか」
という状態によって
緩和されているのかもしれない。

他にも理由があるとすれば、
景色が変わる、とか、そういう
「常に新しい状況が向こうからやってくる」
という賑やかさが感じらることが
心地よいのかもしれない。
 

 
これは川を眺めるのと似ている感覚だな、
と思う。
 
同じものをずっと見ているようで、
実はそうではない。
次から次へやってくる水は、同じようで
同じではない。
 
仮に、土をひと掴みして
川に落としても、泥となった淀みは、
あっというまに流れ去り、
目の前にはまた澄んだ水で満ちる。
 
これは何度やっても同じ。
いつでも目の前には清潔で新鮮な水。
この「清潔の永遠性」というものに
ぼくはやんごとなき魅力を感じてしまう。
 
これと同じ構造としては、
銭湯の「だしっぱなしの湯」や
「泡のぶくぶく」。
それから、
ラーメン屋の24時間沸騰してます
みたいな「鍋の蒸気」、
神社の「手水」や「蝋燭の揺らぎ」、
(「燃焼」も常にくり返されている
科学反応だし)
などがある。
 
これらを見ると、
うっとりせざるを得ない。
どこからか元気が湧いてくる。
 
お祭りの神輿に担がれたように
どんどこどんどこ持ち上げられて
気持ちも鼓舞してくる。
 
カフェでも、
スターバックスコーヒーのような
ちょっと騒々しい方が落ち着く。
楽しくなる。
 
ちなみにこういうのって、
自分が能動的にならなくてもいい、
というところがポイント。
 
四文字熟語で言えば、
「他力本願」ということに他ならない。
座右の銘にするならこれである。
 

« »

サイト管理