ことばの実験室 更新2019/7/15

「みんな変」がふつう。

多様化を認めるっていうのは、
ぼくとしては、うれしいこと。
普通でいる、ということの
タガを外した感じが好きだから。

虚ろな街 上 (潮文庫)
(ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち) 

の本に出てくる子供たちのような、

それから、
最近サーカスの絵を描くんだけど、
その時に見た資料に出てくる
特殊なタイプの人たちや、
彼らが集まる特殊な居場所感が、
ぼくには、どことなく心地よく感じる。

(特殊なタイプの人たちとは…
両手、両足がなかったり、
毛むくじゃらの女性だったり、
極端に太った人や背の高い人、
顔は紳士なのに体は子どもな人等…)

小人ボクシングの話を
ちょっと聞いたことがあるけど、
「そういう人たちにボクシングを
させるなんて、人種差別だ!」
と言う人がいらしい。

でも、じつのところ、
低賃金であるにせよ、
彼らはそこで稼いで、生活をしている。
ボクシングをして観客がいる
という居場所も成立している。

それを第三者が、人種差別だから、
小人にボクシングをさせては
いけない、ということになったら、
彼らの居場所はどうなって
しまうのだろう?

「平等」や「人種差別反対」といった意見は
時々、いったい誰の得になるのだろう?
ということが、あるようだ。

つまり、
「普通ではないことを普通だ」と
思う方がいい、ということ。

さらに言うと、
普通というのはメジャーである
というだけで、
「普通」ということ自体も
外側からみれば、全然ふつうではない
なんてことがよくある。

多様性を認める、ということは、
言い換えると、
「みんな変。」と自覚しておくこと。

「みんな変が、普通」です。

ぼくが、ことばあそびを実験している
根っこには、
そういうところがあるんだと思う。

そういうところっていうのは、
言葉(日本語)を使うことが
当たり前すぎて、ほとんど無の状態
であることに対して、
「でも僕たちの普通って、
本当は変なんだよ」という気づき。

自分は、普通でいる、と
思ったとたんにバカの壁ならぬ、
「普通の壁」が立ちはだかる。

自分たちの使っている日本語って
けっこう変だぜ、
と気が付けると、なにがいいか、って
ただただ、「面白い」だけなんだけど。

学びでも、啓蒙でもなく、
面白くない?というだけ
だけど、
本当に面白がってくれたら、
それが一番。

で、ここからが、本題なんだけど、
長くなるから次回。
次は具体的に、日本語の変さを
どうやって面白がってもらえるか、
のネタを書きます。

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