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「ながら」の逆転法

静かなピアノの音楽が好きなので、
映画「マリー・アントワネット」のサントラの
ダスティン・オハロランとか、
シューマンの「子供の憧憬」とか、
ハロルド・バッドとかを作業中に
「ながら聞き」します。
 
聞いていると色んな景色が想像の中で
鮮やかになることがあります。
 
…イギリスの田舎にある並木道を
辿っていくと、小さなお城があって、
そこで優雅な暮らしをして散歩する
自分の姿がみえてきて、
城には広い図書室があって本を拾い読み、
おいしい晩餐とお菓子を用意する給仕と
クマみたいにでっかい犬が友達…
 
これは「まぼろしの白馬」(岩波少年文庫)の
印象のせいだと思うのだけど、
冷静になると危ない妄想だなと思う。
 
で、なにが言いたいかというと、
気がつくと、「ながら聞き」しているはずが
聞いている方がメインになってしまうのです。
 
要点をまとめると、
音楽は「ながら聞き」にも向いているし、
「集中聞き」にも、もちろん適している。
 
車窓から157
 
「ながら聞き」にもっとも相応しいのは
電車のなか。景色をぼんやり見ていると
音楽は部屋で聞く時よりも数倍心地よい。
 
ここでふと思う。
音楽は「ながら聞き」に向いているけど、
電車は「ながら乗り」には向かない。
この関係を逆転させたらどうか。
 
つまり、音楽を「集中聞き」するために、
電車に「ながら乗って」みたらどうか。
 
そもそも「どこへいく」という
必然性を求めてしまうのが電車なので、
〜ながら「ただ乗って」知らない町に
用もなく行くなんてのは難しい。
 
しかしケストナーの
「エーミールと三人のふたご」の
まえがきにこんなことが書いてあります。
 
「ぼくは、自分がしらない、知り合いも
いない町を散歩するのが好きなのだ。
そうすると、なんだか外国に来たような
気がする。
そして、しんそこひとりぼっちで
さみしくなると、
急いで家に帰って、リヴィングで
とっくりとコーヒーを楽しむ。」
 
この人のすごいところは、
移動が手段ではなく、
それ自体が目的になっていること。
 
知らない所に行くだなんて実用的でも、
論理的でもなく、
偏に感覚に由来する行動です。
こういうのは、客観的にみて無駄だとしても、
当人にとっては、何かを解消できるのに
有効な手段であったりする。
 
とにかく理由を捨てれば、
「ながら乗り」は簡単なことだ。
いちばん好きな音楽を聞くために、
電車に乗って適当に知らない町に行く。
「ながら」の逆転をぜひ。

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